人を怒らせてしまった経験をお持ちでしょうか?突然怒られたという経験は誰でも持っているはずです。でも「怒られた」と考えるのは自分が主役になっていません。主役でなければ、物語の行く末をコントロールするのは不可能でしょう。

怖いからその場から逃げていては火に油を注ぐのと同じ結果を招きます。怒る相手から逃げるのは無責任で卑怯です。その場から逃げるために突然場所から出ていったり、火に油を注がないように、うつむいて黙り込んでしまったりしては、問題を起こして知らんぷりしているのと同じです。

そのように他人の怒りに対して無責任な態度を取ってはいけません。怒っている人にすべてを委ねてしまう態度に過ぎません。自分の関わりを放棄するような卑怯さは相手の怒りを増大させます。道を歩いて人に石を投げつけて逃げ去る態度に似ています。

とはいっても、怒っている人を相手にするのは、恐ろしい経験ですから誰でもその場から逃げたいと思うのも仕方がありません。ではどうするのかと問われれば、対処する基本方針を決めておく、練習することです。

自分が怒りを買った張本人なら、それが本番ですが、誰か他人が怒りを買ったのなら、それを観察しながら、自分の態度をシミュレーションして練習する良い機会になります。

基本的態度は、怒りの感情を解消するのを手伝うことで、相手の怒りを味方に付けるという方向です。つまり怒っている相手と一緒に、あくまで冷静に合理性を求めるという態度です。

そのために何がその人を怒らせたのかに焦点を当てます。当人は合理化できないストレスを感じているはずで、あるいは解決するべき問題を感じています。ですから怒っている当人を巻き込める解決策を考えるようにしましょう。

「こうすればいいのさ」などと当人を必要としない解決策は問題です。阻害されたと感じさせると悪循環になります。むしろどうしても協力が必要だと主張するのがこつでしょう。断られても、この点を譲ってしまっては、元も子もなくなります。

対話という解決手段は有効です。大切なのは冷静に相手が抱える怒りの感情に共感する態度を表明することでしょう。その際、お互いの違いを認め合う態度が求められます。「何故、そんなことで怒るのか」と問いかけるのは厳禁です。むしろ怒りを自分のものとして関わる態度が必要でしょう。

対話の準備ができれば、次は相手の理性に訴えて、活性化させるを目指します。理性的に怒りを爆発させることは不可能だからです。なんだか爆弾処理班の作業手順のようですね。怒りの内容を把握したら自分の落ち度を大げさに表現するのがコツです。

これによって一気に冷却する可能性もあります。これらの手法は相手の理性を呼び戻す手伝いをしているのですが、それは怒りは人の理性を30%鈍らせるからです。

ある意味、怒りに振り回されている人は被害者であることを忘れてはいけません。その人は自分の怒りによって自分自身を傷つけています。怒りたいと思っている人はいません。それが自分に有毒な感情だからです。

さらに怒るような体験に傷つけられているから、怒っているはずなのです。その意味でもその体験の被害者なのです。さらに誰も助けてくれないという孤独を味わっている被害者でもあります。被害者を加害者のように扱えば、問題が拡大するのは避けられません。

他人の怒りに対処する力は有能です。助ければ協力者が増えるからです。怒りという怪物と戦って振り回されている人を、その脅威から救い出せれば、あなたはヒーローになります。どんなにおとなしい人でも、怒りの感情を抱きます。そしてその怒りの感情に対抗する方法は習得困難なのです。その場から逃げ