怒りを押さえつけると、身体が覚え込んでしまいます。そしてじっと爆発する機会をうかがっているはずです。逆に怒りを感じないようにする努力は役立ちません。人間の本能に逆らう努力は無駄であるとフランスの格言にもあったと思います。

ですから怒りに身を任せず、コントロールすることを目指します。そのためにさまざまな方法が提案されているのですが、怒りは悪者で怒る人が未熟であると言われているように思えます。

どれも何かの技術を身につけよと教授されている気分になります。そしてどこか焦点がズレているように思えます。まるで怒らせる人は正常で、怒る人が一方的に学ぶべきだと言われています。人を怒らせる人に問題はないのでしょうか?

少なくとも人それぞれに怒りのポイントは違っています。ですから誰かを怒らせてしまったとき、正しい関係を態度で表現して、何が怒らせてしまったのかを尋ねるようにするべきでしょう。アメリカに滞在したとき、そのような対応を経験して驚きました。

怒りを覚えるキーワードは何かを観察するのが大切だと思います。なので怒りを覚えた時のキーワードを記録しています。応答関係が正常に保てているかは一つの問題です。応答がないと怒りが湧き出し、大きく育ちます。

例えば呼びかけに返事がない、とこの段階で認識するのは困難でしょうが、初期的なイライラが生じます。また話が逸らされるとイライラします。それがしつこく繰り返されると怒りを感じます。

直接的、下品な言葉の言い替えに怒りを感じます。この程度は当たり前でしょう。でもこれらに共通する焦点はないのでしょうか。それぞれが独立した刺激として働きかけてくるのでしょうか。

これらは無礼な態度で自尊心が傷つけられているからではありませんか。いずれも自分の立場を無視されたように感じてしまうからですね。人は誰でも行動規範を支えている自尊心は大切にされたいと思っています。

あるいは自分にとって相手は無視できない存在であるのも要因の一つでしょう。関係のない人が何をしていても、その人に関心を持てません。逆に関係のある人が問題行動をすると怒りに結びつきます。大切に思うことを損なうと感じれば怒りを生じるのです。

対人技術として理解できる武術では、一歩だけ引いて間合いをとる心得が役立つといいます。武術では引くのは逃げるためではなく、反撃するためです。感情の場合は反撃ではなく、何を守ろうとしているのかを考えることになるでしょう。

そうできれば、自分にとって大切なものを確認する大切な機会です。意外と大切ではないものを大切にしてしまっていませんか?結局、怒るのにふさわしい理由にもならない事かも知れません。

前提としてフラストレーションが溜まっていませんか?「思うように事が運ばない」という思いがフラストレーションですが、こんな思いを抱き続けているなら不健康な精神状態になっています。

このように感じた時点でしっかりと気分転換しましょう。フラストレーションを溜め込むと爆発の準備が整います。人間はダブル・ストレスに対処できない本性を持っていると受け止めるのが謙遜な態度です。ですからフラストレーションが多重化する前に処理しましょう。

身体がストレスに反応すると臨戦態勢になります。私たちがストレスを認識するよりはるかに早く身体は反応します。少しのストレスで臨戦態勢になり、臨戦態勢は怒りまで、あと一歩の恐れの状態です。

怒りを感じたら、分析を開始する習慣を作って、生涯を通じて人格を改善し続けるのは素晴らしいことです。いち早く疲れを察知して対処するのは一種の技能であり、感情コントロール全般に応用可能です。