怒りをまったく表に出さない人が周囲にいます。とても忍耐強い正確なのだと思っていると、足下をすくわれるような思いをしたりするのです。あるいはその人とつきあっていると、困ってしまう時があります。

突然、過去の話を持ち出してきて、あの時は…と話が始まります。話をしている時点ではもはや打つ手もなく、その人の怒りの向け先は結果的に生じた状況であり、そして私なのです。話し込んでいる段階で、その人に対する印象は完全に変化してしまいます。

一度でもそのような経験をすると、その人とは以前と同じような態度で接するのが難しくなります。大丈夫と言っていても、それが本当なのか計り知れないからです。ただ本人もその性向については了解して、対処する方法を探しているそうですが。

抑圧はコントロールではありません。感情の表出を我慢するように指導されてきた経緯もあって、一定の年齢以上の日本人は、感情表現が苦手なようです。表現できないから、ひた隠しにするというのは、あまりにも不健康ですよね。

ひた隠しにして、感情を抑圧しても心の奥底に溜め込むだけです。感情の記憶は以外と強く刻み込まれるそうです。むしろ試験対策のための記憶を感情と一緒に覚えるという記憶術があるほどです。

抑圧は必ず噴出します。いったん潜在意識に沈み込んだ抑圧は、長期に渡って保存されますが、食べ物のようには消化されず、消失しません。つまりいつまでも心の奥底に残って、沈殿していると考えられています。

抑圧する状態で処理するのは感情コントロールの失敗です。それは身体に症状が表れます。ストレスを生み出し、潜在した感情によってバイアスがかかってしまうようです。結果として、偏った理解をしてしまい、人間関係が破壊されるようになる危険もあります。

感情コントロールの失敗は、怒りに対するものだけではなく、すべての感情に対して同じことが考えられます。例えば喜びを控えめにしたほうがよいのにはこんな理由があります。確かに喜びは周囲と分け合うのが良いのです。昇進祝いや誕生祝い、あるいは快気祝いなど慶事をみんなで祝う習慣があります。

しかし、周囲が同じように恩恵を受けるわけではありません。主役が周囲に気を配らなければ、問題を生じるのも当然です。結婚式に出席する友人たちには、一体何のメリットがあるかを一考する余裕が欲しいです。

なにより嫉妬を買うと後々面倒の種を蒔く結果を招きます。ヨーロッパでは、周囲の嫉妬を何より警戒する文化もあります。嫉妬は外に表れない怒りの感情の一つです。喜びの感情も表現する程度が問題になるようです。

悲しみの取り扱いを間違えてはいけないのはもちろんでしょう。人生には悲しみの時間がつきものだからこそ、上手に付き合うノウハウが必要になり、周囲を助けることに直結するでしょう。

悲しみは充分に悲しむのがよろしい。悲しみを抑圧すると、大きなストレッサーとして問題を生じ、心の働きを麻痺させます。ですから充分に落ち着いてくるのを待つのが上策だというわけですね。

恐れを抱く気持ちは、自分の心の中にあります。抑圧して無視したり、なかったことにするといつまでも残ります。なので何を恐れているのかを明確にしていくのが対処方法です。

何でもないことを恐れていたり、解決できることから逃げようとしていたりと、恐れは自分を測るものさしです。恐れに振り回されると人間関係を形成できなくなったり、問題解決ができなくなったりと困った事態を生み出してしまいます。

そして怒りは身体を蝕みます。怒りの力はとても強く、扱いが難しい。他のことに振り替えると怒りは力になりますが、身体が壊れてしまいました。