あなたはすぐに怒る、または君は気が短いねと、そんな風に評価された経験はあるでしょうか。個人的には子供の頃から、親や友達にそんな評価を受けてきたように思います。それは今でもあまり変化したように思えません。残念です。

怒る気持ちを限界まで溜め込んでいるのに、気が短いなどと評価されては身も蓋もない気持ちに満たされてしまいます。それでも我慢が大事とかと、怒りを表すと説教を受けるのがほとんどの場合でした。

感情の区分はさまざまに可能です。分け方によっては数百種類の感情に分析できるようですが、もっとも単純な感情の種類といえば、日本独自の「喜怒哀楽」という4つに分類するものでしょう。

しかし喜怒哀楽では感情をコントロールできません。喜怒哀楽は外的刺激に対する反応と考えられます。何かに喜ぶ、何かに怒る、何かで哀しみ、何かで楽しむといった具合に感情の受動的側面に注目した概念だと思います。

哲学書を漁ってみると、ハイデガーは不安にアプローチしたといえるようです。彼は不安を人間の根源的存在と結びつけて説明しようとしています。

東洋の五行思想では5つの感情を取り上げます。それは以下の5つの感情であり、それらは陰陽五行の働きがあると考えます。つまり少なくとも5つの感情は、陰陽五行によってコントロールできる可能性があります。

「怒」りの五行は木、五蔵は肝の陽。「喜」びの五行は火、五蔵は心で陽ですね。そして「思」うは五行の土で五蔵は脾です。また「悲」しみの五行は金、五蔵は肺の陰になり、「恐」れの五行は水の五蔵は腎の陰という配当になります。

「怒」り、「喜」びは外に表れでるのを基本として陽になりますが、「悲」しみと「恐」れは必ずしも外面に表れてくるとは限りらず、陰とします。ただ「思」うには陰陽がありません。陰陽がないのを無極といって、陰陽の両方を内包しています。

表面に表れてくる感情もあれば、内面に中心がある感情もあるといいます。そしてそれらが陰陽の関係になっており、中心に位置するのは陰陽が含まれる「思」う感情です。

古代中国でも多くの感情はあったはずですが、中心的なものに集中するやり方でしょう。もちろん進化論的な解釈もあって、「怒り」は自分の命・安全を守るのを目的としているとします。

そのため「怒り」の感情がもっとも激しく働くという。だからさまざまなアンガーマネジメントは怒りの制御を目指すともいえそうですが、感情をコントロールするとは「無」になることではありません。

感情を消し去ると人間ではなくなってしまいます。かつて前頭前野の手術でロボトミー化させる術式があったそうですが、結果は人間らしさを奪うものであったといいます。感情の変化を否定するのは無意味です。股間を除かれれば釈迦でも怒りをあらわにしたと伝説にもあります。

怒らないではなく、制御された怒りが大切です。正しく怒り、適切に表現できるのがふさわしく思えます。ですから怒りの感情がアンガーマネジメントの中心課題になるのも同じ目的があります。確かに、怒りだけが対処しなければならない感情ではありません。

ただ「怒り」はもっともセンセーショナルな感情なのです。だからこそ感情コントロールは自分のためです。率直に言い替えれば、周囲に対する攻撃性を制御するためのアンガーマネジメントではありません。

自分の中の感情のバランスを怒りは破壊してしまう力を持っています。その力を怒りは最終的に自分自身へ向けてしまいます。それが自傷的感情や自傷衝動に成長します。同時に怒りは制御しやすく、わかりやすく、単純です。だからこそアンガーマネジメントは感情コントロールの入り口なのです。