知り合いが心理学を専門に研究していましたので、よく現代的なメンタルヘルスについて議論しました。そんな議論よりもむしろ雑談のようなところから発見があったのは面白い経験だと思っています。

彼によれば、軽躁が現代的健康の条件です。軽く楽しんでいる状態を維持できる精神状態です。周囲の人もそんな人と付き合うのがとても楽だといい、社会的な成功を手にできると強調します。

個人的にはできる人がうらやましいと思います。楽しいことはお金と時間が掛かってしまいませんか?コストを必要としない楽しみを探しましょう。そうすると家にこもってインターネットをだらだらしているのが、とてもふさわしいという結論に至ってしまうかも知れません。

もはや出かける元気もないし、面倒くさいしと感じているなら、そろそろ末期的症状でしょう。ひんな精神的な消耗状態では何もできませんよね。軽躁になれない人の共通した悩みかも知れません。

無意識下に沈んでいる怒りが蝕んでいませんか?どうして報われなかったんだという不満やなぜ分かってもらえないんだという無力感は一見すると怒りの感情ではありません。しかし、そんな複雑な感情の下には怒りがあって、絶えず不満や無気力感に火力を与え続けているようです。

それらの背景にある怒りも怒りが代表しているとすれば、怒りとは呼ばれない怒りたちが多くあります。怒りとは何も烈火のごとく噴出しているものだけではありません。前段階的な怒りも怒りとして考えなければ、対処するのは難しいです。

吹き出していれば当然ながら扱うのが難しい怒りですが、前段階として潜んで心を支配しようとしている怒りも扱うのためにテクニックが必要です。いずれにしても怒りを扱うのは一筋縄ではなりません。

我慢の限界を迎えてはならないのは言うまでもないでしょう。しかし、我慢の限界がどこなのかはっきりしません。周囲から見れば、さらにつかみ所がないでしょう。だからこそ他人の怒りは恐ろしいのです。

条件に気がつけば早く対処できます。すぐに怒ると思っているなら、どのようなことに怒りを表現するのかを、特定するのも自分のことなら簡単でしょう。自分の問題から手を付けます。

原因ときっかけが揃って噴出するのが怒りです。きっかけに惑わされないように気をつけましょう。きっかけに怒っているのではないはずです。何に対して、何故怒っているのかに焦点を当てなければいけません。

そうして、できるだけ早く怒りの種を見つけて処分します。きっかけを得る前に怒りの種を発見できれば、比較的対処ができるものだからです。そのためにメモに書き出して忘れないようにするのが第一歩です。

その段階で、さらに怒りが増してくるなら、後回しにするのが得策かも知れません。自分にできることにまず対処する精神ですね。日頃の習慣を作っておけばいざというとき他人の役に立ちます。

感情を観察する習慣を持つために、不安な状態と付き合うのが基本です。不安なのは不快に繋がりやすいですが、不安の正体は不安定です。何が不安定なのかを意識して不安な状態に慣れましょう。

不安を抱いていない人はいませんし、他人に恐れを抱いていない人はいません。恐れは不安から生じるからです。そして恐れは過剰な反応(つまり怒り)を生み出す傾向にあります。人間は知らないことや理解できないことに恐れを感じるものなのです。

それは国家間の問題にも表れます。他国支配している国家が過剰な対策をすると歴史は証言しています。他者支配は恐れを除くことができません。不安から恐れを生じるメカニズムはこのようですから、対策は明確ですね。不安を感じる対象を良く知ることです。