Authorbluefish2017

危険行為!こうすれば相手はすぐに怒りでいっぱいになってくれる

アンガーマネジメントは、むやみに周囲の怒りを買わない役に立ちます。怒っている人を避けるというのは有害な判断です。自分が怒りの対象なら、無責任でしょうし、近くの人が怒りの対象なら、薄情な人として理解されるかも知れません。

周囲の怒りから物理的に逃げられない通勤電車の中というケースを含めて、怒りから逃げるのは良い方法とはいえません。むしろ、怒りを吹き出す直前で、察知して対処する能力と知恵が必要です。それは周囲の人たちの助けになり、また自分自身をより高めることに貢献するに違いありません。

ストレス状況にある人には注意を払って余計な関わりを避けるのが基本です。冠婚葬祭はストレスの場です。人々の感情がさまざまに交差して留まる場だからです。そのようなストレス状況では期待される行為だけが受け入れられるという環境を作っています。

ストレス状況を弁えたコミュニケーションが求められているのを理解して余計な行為・言動を避けるのが基本になっています。その他のストレス状況でも同様です。職場であれ、家庭であれ、時と場合によってはストレス状況を避けることができないからです。

対人関係を破壊してしまう怒りを扱うアンガーマネジメントは感情マネジメントを含んだ対人リスクマネージメントです。対人関係を危機に追いやるのは怒りばかりではないからです。不安、恐れ、悲しみはもちろん喜びでさえ場合によって対人関係を破壊するからです。

さまざまな感情の中で怒りはむしろ扱いといえます。それは明らかであって誰にでも観察できるからです。具体的に誰かに怒られるとアンガーマネジメントのポイントが観察できます。そのような機会を上手く利用するのもアンガーマネジメントの学習機会です。

中には野放図に怒る人がいます。何に怒っているのかすぐには理解できないかもしれません。八つ当たりになってしまうことが多いからです。これは感情コントロールが稚拙な人に見られる状態です。コントロールできないとどのように周囲に映るかを考えるよい例になります。

そして怒りを隠してしまう人もいます。突然怒りを爆発させる人は大体、このタイプ人です。恐らく怒りに限らず感情の表現ができていないはずです。その場で怒りを表現せずに、内部に沈殿させて爆発力を蓄えるので、表出した怒りは極めて扱いにくくなります。

時々ですが、上手に怒りを表現する人もいます。この人に出会うと幸せすら感じます。いつも微笑んでいる人が、怒りを表現した時に出会うと、怒りの表現が大小によって表現されるダイナミクスなのだと改めて知らされます。

逆に誰かを上手に怒らせられるなら、アンガーマネジメントもできるはずともいえます。なんでも自分の思い通りでないとだめという人は怒らせやすいです。少し意地悪な扱いをすれば、確実に怒りを表現してくれます。

そのような人は精神の柔軟性が足りないのかも知れません。そうでない人は違う道を見つける名人なのです。進路に人が立ちはだかっても、すんなり道を替えます。目標が達成できれば、それでオーケーな人になりたいですね。

誰かを怒らせるなら、ストレス状況でフラストレーションを与えるのがポイントです。時間がなくて急いでいる時の、余計な仕事の依頼だったり、突然停車して動かなくなった通勤電車や効果が期待できない行為の繰り返しは見ている人をいらだたせます。

そのような時にくどい言い回しを下品に繰り返すと怒りが生まれます。いくつもの作業を同時にさせてフラストレーションを与えるのも可能です。同時進行の作業は大きなストレスになります。その作業の内の何かに問題があるとフラストレーションを生じさせるのです。

こう思ったことはありませんか?何故あの人はすぐに怒るのかと

突然ですが、あなたは今、フラストレーションを抱えてはいませんか?最近、何かに欲求不満を感じませんでしたか?その時、どのように気分を処理したかを思い出してみて頂きたいのです。現代のほとんどの人がフラストレーションを感じないで生活してはいないはずです。

現在、フラストレーションを感じている真っ最中なら、自分が得意にしているものにしばらく集中してみましょう。なぜなら、その状態は怒りを爆発させる直前かも知れないからです。怒りが生じてくる前に気分を変えておくようにしたいのです。

そのために普段から自分が得意だと思うもの・ことを探しておくのはとても素敵なアイデアです。フラストレーションが消失した時に次に備えておくのは人間古来の知恵ですね。音楽を聴く、楽器を演奏する、ひとりカラオケに行くなど、いろいろありそうです。

ただし一つのことに神経を集中させるのは20分までにします。それではスッキリしないかも知れません。その時はもう一度、繰り返します。ただ、集中する時間を漫然と継続するのは逆効果を生じてしまうので不都合です。

具体的にはアロマテラピーなどのプチ・リクリエーションがおすすめです。意外とアロマテラピーは即効性が得られますが、達成感が伴わないので、あるいは別の方法を探すのが良いかも知れません。

今感じていない方はフラストレーションを溜めていませんか?今のご機嫌が良いのは、忘れているだけかもしれません。フラストレーションを感じた時に処理できているとは限らないのです。むしろ我慢強い人ほどフラストレーションを溜めやすく、フラストレーションを溜めると怒りの感情への対処力を損ないます

弱点は誰しも持っているはずですが、弱点を分かりやすく表現している人をあまり見かけません。周囲の人は立派で格好良くて、ねたましさを感じさせます。弱点を抱えている人が、あんなブランドで身を固めているはずはないと思えます。

しかし、弱点が多い人ほど、多くの防護を必要にしているというのが真実です。弱点は人間であることの共通項です。弱点を持っているのは人間だからです。

弱点は守りたいのが動物の本能ですし、弱点は場合によっては生傷のようにうずいています。だから普段は意識しなくても、触れられると激しく痛む場合があります。その人の弱点には触れないのが優しさですし、自分の弱点をしっかり把握しておくのが防衛策です。

ですから弱点を攻め続けると相手は怒ります。意図的であるか否かは無関係です。それでも分かっていて人の嫌がることをする人がいるのは残念な現状です。そのような意地悪の被害に遭った時には具体的な行為を止めてくれと頼みましょう。それでも止めてくれなければ、しばらく距離を置くしか方法を知りません。

人は他人のフラストレーションに関心を持ちません。その背景に欲求不満は本人の問題という風潮があります。でも寂しいなと感じた時にはフラストレーション状態ですし、「なんだかな」と感じることが多い最近の都会の人たちです。なので親しい人同士でフラストレーション解消の相互援助を試みるのが良い方法です。

意外ですが自信のなさもフラストレーションです。だから自信のない作業をする時に不安を感じるのは当然です。未経験の作業はストレスが大きく、作業の途中で不具合を生じると、直接的なフラストレーションになります。未経験の作業には慎重に向き合う心がけが大切なアンガーマネジメントです。

それ以外にも自分が何にフラストレーションを感じるかに注意しましょう。上手に気分転換できた方法も重要な情報です。そして同時に周囲の人が何にフラストレーションを感じるかを観察しましょう。

不安の中で周囲の悪意を前提すればフラストレーションを招く

混雑した朝の駅の階段を駆け下りるなんて、なんて奴だと激怒して怒鳴り散らしている人を何度となく見かけました。そのような行為は確かに危険極まりません。一度は駆け下りている人が老婦人を引っかけてしまい、あわや転倒という状況も目撃しました。

そのような危険行為を正当化できる理由が、駆け下りている人にはあると考えたことはありますか?絶対に許せませんか?でも、たとえ重大犯罪でも、被告についた弁護士は、行為の正当性を訴えて情状酌量などの刑罰軽減を試みるのです。

無免許運転は違法行為ですが、正当化できる状況があります。人の生死が関わった状況であれば、刑罰に問われないケースがあるようですし、殺人行為も違法行為ですが、罪に問われない正当法衛があります。

いずれも行為と結果だけを見ていては、判断できません。自分の判断だけが、正義を判別する基準になっている可能性があります。かつて活躍した新聞記者はそのような、自分の考えだけで成立する正義を「小さな正義」と呼んでいました。じつにプライオリティは人それぞれなのです。

仮に何か他人から受けた行為を不当と感じているなら、どこかに正当を設定しているはずです。そして正当であるためには、正義が必要です。人権はもっとも基本的な権利ですが、いつも主張できるとは限りません。

外国で日本人の権利を主張してもむなしく響きます。外国では日本の常識がしません。客が代金を支払っても店員がありがとうと言わない国があります。礼儀作法が違い、文化が違います。それどころか法律がそもそも違います。

私たちが信じている正義がどこまで不偏しているか、特定するのは極めて困難です。具体的には人権とは何か、その範囲はどこまでかなど具体的な内容についてはさまざまです。国際人権も特定の国家や領域には適用できません。国によって批准する、しないという微妙な問題があって、人権概念が定まっていないのが現状です。

私たちの感覚から隠されている事実が私たちの判断を誤らせます。札を隠してするカードゲームや麻雀などが良い例でしょう。相手が持ち札を隠していなければ、単なる論理ゲームであって、面白さは消え去ってしまうに違いありません。判断ミスが期待されていて、それが面白みですね。

大切なのはストレス状態でのフラストレーションを処理することでしょう。正義を振り回すのではなく、自分が受けた刺激をフラストレーションにしない工夫が必要なのです。そのためにストレス状態であることを意識します。

同じ状況では、だれもが同じストレスを受けています。意外とこれを見落としがちではありませんか。自分だけが何故、という考え方は不適切なのです。そこで個人的には中国拳法の「化勁」なる技術を応用するようにしています。対極の力で対抗せず、相手の力を無力化する方法を考えるようにします。例えば困った事態をコメディ化する状況を考えてみるのがひとつの方法になるでしょう。

小さな正義という考え方は、世界の果てとその向こうという考え方に基本を見いだせます。世界は自分の認識の枠組みのことで、自分の世界には知り得ない向こう側があると考えます。正義は全体と部分との関係で決定されますので、全体を知らない個人には判断できない正義があるのがわかります。

平常なら感じない悪意を感じる理由はどこにあるのでしょうか。いつもなら余裕を持って対処できる刺激でも、余裕がないときに刺激を受けるからフラストレーションを感じるのですから、大切なのは余裕のある精神状態です。通勤列車内のストレス度は、戦争の最前線に匹敵するそうです。そのような余裕を見いだせない環境がちまたにあふれています。

周囲がとやかく言えない!何に怒りを覚えるかは個人的問題だった

個人的経験ですと、貧しい例しか思いつかず申し訳ない結果になりそうですが、まだ学生だった頃の経験です。怒りを抑えきれなくなってしまったとき、周囲にいる人から「どうしてそんなに怒っているの?」と質問されるとはたと、困ってしまいました。

その人はけっして面白半分で質問したのではないでしょう。ですからその人に対して怒りは感じませんでしたが、言葉に窮してしまったのが記憶に強く残っているのです。あの怒り以外の感情はどこから出てきたのかと今でも時々思い出しては考え込みます。

そもそも怒っている理由なんて、聞いても他人には理解できないのではないでしょうか。友人たちもよく個人的に私の所に尋ねてきて、どうしようもなくなった怒りの感情を語ろうとしていました。そんな話を聞く度に、怒る理由がよく理解できませんでした。

それに対して「どうしてそんなことに怒っているの?」と尋ねられたときは、怒りに油を注がれたように感じます。先の質問と大変似た台詞なのですが、響きはまったく異なります。怒る対象と理由を誰かに許可してもらえといわれているように思えるのです。何に怒るかを誰かに決めてもらうのかと。

それに突発的な怒りでなければ、一言で説明なんて不可能です。突発的に怒るというのが、むしろまれな気がします。堪忍袋の緒が切れた状態は、きっかけしか意識できません。このような状況なので他人が感じる怒りに共感するのは難しいのです。

だいたい、みんな一緒というのは幻想に過ぎません。同じ場所・時間に生まれて同じ環境に育った双子ですら、微妙に感情の動きは異なっているのです。むしろ、だれもが一緒ではないから、人格が大切なのですよね。

でも意外と難しい「人格」という言葉を無警戒に使うのは危険かも知れません。人格の定義は心理学者でも答えに窮するそうです。なぜなら少し昔までは人格なんていう概念がなかったからです。ただ、高徳な人物とか低俗な人物なる概念はありました。

歴史的には個人主義が広まると同時に人格という言葉がデビューしました。誰もにある人格が人間の基礎概念を作っています。そして人格の高低が評価される社会になっています。高徳、低俗で語られる人品と人格とには微妙な違いがあるはずです。

自分と違うものと出会うことで人格が問題になりました。具体的には選択と計画は人格に関わります。その人の意思が選択と計画に表れるからです。つまり何を選択するかに人格が表れ出るのです。

たしかに尊厳は人格にありますから、他人が口を挟めないというのが原則です。また自分の選択は尊重されたいという思いがそれぞれの人の人格を表現しています。そのような人格は、生活環境で積み重ねられた選択の蓄積が基礎になっています。なので何に怒りを感じるかに大きい個人差が生じます。

昔から逆鱗に触れるという言葉があります。龍には逆鱗があって、それに触ると激しい怒りを買うことになっていますが、龍の逆鱗がどこにあるかが分からない。なので龍の逆鱗に触らない慎重な態度が求められます。人でも同じで、何で人の怒りを買うかは分かりません。

しかし、あなたの怒りは正当な扱いを受けるべきです。同様にあなた以外の人の怒りも正当な扱いを受けるべきです。怒りなどの感情は人格に関わる問題だからです。人格が正当な扱いを受けるのが分かれば、落ち着いて怒りに対処できるはずです。

ですから、怒るのは当然だと言い合える仲間が必要です。怒りを感じることの正当性を意識することがアンガーマネジメントの第一歩でしょうし、一人で取り組む作業ではありません。周囲にいる家族や友人の協力を獲得するのが、第一歩に先立つ準備作業でしょう。

私と一緒にフラストレーションを感じている対象は何かを考えて

フラストレーションも小さい内に対処するのが大原則です。そのためのコツを調べてみると次のようなものがありました。自覚する。ショッピングする。ファッションを変化させる。魔法の言葉「まあいいや」をつぶやく。そしてマインドセットを利用する。といった内容です。

どれも効果的に使うのが難しいように思います。それなりにあきらめのようなものが大きな要素になっている気がします。また、フラストレーションを感じている時に、それらの対処に気が回るかという問題も気になるのです。

特に対人関係でのフラストレーションに対処するのは、自力だけでなんとかするのは困難ではないでしょうか。対人関係が複雑で絶え間なくさらされるストレス環境で独力では難しいと思います。是非みなさん、対人関係の欲求不満に苦しむ私を助けてください。

助けようにも自分の具体は相手の抽象です。それは他人同士なので共感するのが難しいということを意味します。具体的であるためには少なくとも時間・空間そして感情の共有が必要です。ですから、いつ・どこでの話なのか。そしてどのように感じたのかを伝えましょう。聞き手に立ったなら、相手が話すそれらの内容を明確にしてイメージするようお願いします。

欲求不満を生じる原因として考えられる行動様式の違いと主義主張の違いを説明しておきます。行動様式の違いは些細な衝突を頻繁に生じます。例えばコーヒーは食後か食前か、コーヒーは飲みきるのか。

コーヒーの飲み方に限らず、食事のマナーは感情的に訴える力を持ちます。犬食いをする人などは極端な例かも知れません。デートの食事でテーブルに食器を置いたまま、食器に口を付けて食べる女性がいました。もちろん昔の話ですが。

結局は食事に限らず、行動様式のさまざまな場面でマナーが違いすぎて、衝突が頻発し交流そのものを維持するのが難しくなってしまいました。

また主義主張が違うと本質的な衝突を生じます。宗教などの主義が異なっていると、衝突は激しいものになります。キリスト教とイスラム教の衝突のような事態をイメージしていただけば、分かりやすいでしょう。

これらの違いをマネージメントするには、「できる側」の人が調整するのが原則です。できる側というと能力面を意識してしまいますが、もっと広い概念を指しています。だから余裕のある側と考えれば良いのです。

具体的にビジネスでフラストレーションを感じるケースは多いと思います。部下が指示通りに役割を果たしてくれないという不満を頻繁に耳にしますよね。でもいつも上司に余裕があるとは限りません。時には部下の方がマネージメントすべきかも知れません。

それでも言ってしまえば、そもそも部下は役割を理解していないかも知れませんよ。たびたび、業務の役割について質問を細かくするといった工夫は大切でしょうし、また、役割の重要性を事前に打ち合わせるのも効果が期待できます。

もっも大きな問題は家庭でのフラストレーションでしょう。家族の人たちを役割で理解していないでしょうか。夫なんだから…とか、妻なんだからとか。役割で家族を理解していると、欲求不満になります。

役割ではなく、一対一の関わりとコミュニケーションを大切にするようにしましょう。夫と結婚したのではなく、妻と結婚したのでもないはずです。それぞれ特定の個人と家族を作ったはずなのですから。

恋愛でフラストレーションを溜めるとせっかくの時間が台無しです。彼氏が思うように相手をしてくれない、彼女が思うように反応してくれない、といったことでしょう。このような問題は一人では解決できません。男女で同じ現象に対する理解は大きく異なっているからです。

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怒りの原理!ストレスにフラストレーションが加わると怒りが爆発する

フラストレーション(欲求不満)は心の風邪引きといわれます。アンガーマネジメントを考える場合に、フラストレーションの取り扱いはキーポイントになるかも知れません。フラストレーションは物事の結果に対して生じる感覚だからです。

原則を言ってしまえば、思い通りになんて事は運ばないのが常識としましょう。思い通りにいくと思っていることが、そうならなければ大きなフラストレーションが生まれます。

家族なんだから、自分の状態を把握していてくれるはずだと考えているなら、毎日がフラストレーションの連続になります。これだけ準備したんだから、結果は上首尾だと考えているとフラストレーションを生じます。

このような連続から抜け出すために現在は欲求不満を感じていますか?といつでも自己チェックするのがよいようです。小さなフラストレーションなら、プチリフレッシュで解消できるはずだからですね。

ただストレスとフラストレーションの間には微妙なずれがあります。何かの結果に満足できない状態がフラストレーションです。また、障害を生じる、主に外部からの圧力をストレスといいます。

いつも通り家を出たのに、電車の運行が乱れて(ストレス)遅刻した(フラストレーション)という次第です。この二つが揃っていると、内的に怒りが生じているといって良いでしょう。駅の改札中は怒りに満ちた乗客が溢れているはずです。

フラストレーションの感覚は蓄積されます。このことが八つ当たりをしてしまう原因です。フラストレーションのはけ口は相手を選ばないのです。だからといって溜め込んでいると疲れやすくなります。

さらには睡眠障害を生じます。睡眠不足などに悩まされるようになると欲求不満を解消する作業は困難になっていき、問題に対処する力が低下します。そして物事に集中できなくなります。新たなフラストレーションにつながります。

処理しないとフラストレーションはこのように拡大します。欲求不満が蓄積されると、小さなストレスで許容量を超えて怒りを生じます。フラストレーションへの対処が上手くないと、結果として怒りっぽい人間ができあがります。

さてストレス状況から逃れることができないとフラストレーションを生じます。必要な情報を得られないと大きなストレスを感じます。電車の運転が停止している理由がわからないとストレスを感じます。また事態が変化するまでの時間が分からないとストレスを生じます。

ストレス状態では事が思い通り進みません。ということは、ストレスを受ける状況をあらかじめ知っておくとフラストレーションを回避できます。

例えば逆立ちをしてビールを飲み下せないのは、身体の構造がそのようになっているからです。逆立ちというストレス状況で、飲み下せないのは当然です。ビールを飲み下せないことでフラストレーションを生じません。

一般的にストレス状況では、フラストレーションを生じやすいです。ストレッサーを意識することで、フラストレーションを回避しやすくなります。怒りを生じる前に、怒りに対処しておくのが上策です。

ストレスを作るストレッサーにはいくつかの種類が提案されていて、次のような種類があります。気温、騒音などの刺激を物理的ストレッサーと呼びます。酸素や栄養状態などの要件は化学的ストレッサーです。病気や怪我などの状態は生物学的ストレッサーになります。そして人間関係のトラブル、緊張、恨みは精神的ストレッサーです。

ストレス状況に気づかないと、フラストレーションを簡単に溜め込みます。欲求不満で一杯な状態だと、簡単な刺激で怒りを生じます。ストレスを把握して、フラストレーション対策するのが大切です。

ここがお得!何が相手を怒らせたのかを考えると相手を深く理解できる

怒りは人を孤独にしますね。個人的には何かに怒っている時、誰も分かってくれないという気持ちが生じます。そして同時に「どうして私が」という言葉が浮かんできます。後はどうしてという問いに一人でもんもんと答え続ける事態になります。

孤独感は怒りに油を注ぐ効果があるようです。ですから怒りを制御しながら問題に対処しなければならないという作業が必要ですが、これはなかなか重労働です。気力が続かないと怒りをその場で爆発させる結果を招きかねません。

病気は体力を減退させ、怒りは知力を減退させます。病気なのに激しい運動をしなければならないのと似ています。怒りに対処するのは結構複雑で大きな負担を強いられるのですが、このような怒りによる心的状況は誰でも同じです。

怒っている人はみな孤独を強く感じています。孤独はいわく、人生で人間がもっとも恐れる相手だとされます。何より孤独が恐ろしいという人はいくらでもいるでしょう。だからこそ、怒っている人と関われれば、孤独から救い出す友になれるという次第。

具体的に怒りのコントロールを支援することで、明日からの友を獲得できるでしょう。また相手の怒りを理解する時に、相手の考え方の深くまでを理解できるようになります。そして他人を理解することは、自分の理解につながります。今後相手は、あなたには心を開いて信頼してくれるはずです。

一般的に他人の怒りは大した事態ではないと感じます。実は怒りを覚えるポイントは人それぞれですし、物事に対する重要度も人それぞれです。ですから「そんなこと」と言わないで頂きたい。

そんなことで怒ることないでしょうと言うのは、個人的攻撃に聞こえます。怒りを覚える権利を侵害されているように感じるからです。問題がその人にとってどれだけ重要かを判断する権利を持っているのは怒っている人だからです。

「怒ることじゃない」と判断するのは危険を身に招くでしょう。怒ることじゃないなどと言われると教え諭されるように感じてしまいます。言葉のモードが上下関係を暗示するからです。これ以上何かを教えられなければならないのかと、孤独が刺激されます。

そして「どうして」という質問は怒りに油を注ぎます。理由を問うのは、怒りに正当性を求めています。怒りを正当だとする理由はさらに、怒りを強める結果になります。なので期待と事実との関係と事態の流れを客観的にたどりましょう。

この際気を付けたいのは、関係があっても、因果関係だと限らないという原理です。「彼が何をしたから」「こんなことになってしまった」といえば、因果関係を暗示しますが、彼が何をした事実と現状とは直接関係がないかもしれません。

当然だと主張するところに、その人の人格が表れ出ます。人それぞれという部分に人格が表れるからです。個人の当然は、全員の当然ではないからです。不本意な反応をされたから、怒りを覚えるとは限りません。

例えば店員が無愛想な態度をしても、何も感じない人はいるでしょうし、店員は愛想良くしなければならないという規範を前提にしています。恋人が約束の時間に遅れても、その時間を都合良く使える人もいます。そこには愛情を抱いているなら、時間厳守すべきだという規範が潜んでいます。

規範は因果関係ではなく、個人の選択です。怒りのパターンを多く知れば、選択の幅が広がりアンガーマネジメントの上達が期待できます。

とにかく自分の問題として一緒に対処しましょう。自分の問題として関わることで自分に対する能力が向上します。客観的に見れる他人の心的状況の方が対処を冷静にできます。対処の方法は自分自身に対するのと共通ですから、実践練習になっています。

試して!怒りと一緒に悲しみにスポットを当てれば怒りは沈静化する

怒りの裏側に悲しみの感情が控えています。怒りは決してそれだけの単純な感情ではありません。だからこそ怒りの感情は放置すれば周囲に延焼するように対象を広げていって、何に対しても怒りを覚えるようになってしまうのです。

東洋思想では悲しみは怒りの陰陽裏返しです。五行に配当された勘定にもそれぞれ相生相克の関係が成り立っていると考えます。他の感情と区別されながら、それぞれの感情に一定の関係を見いだすことができます。

だからこそ感情は思っているほど単純にコントロールできません。一旦鎮火したように思える怒りが何かをきっかけにして、再び心の奥底でくすぶり始めるのは、単純ではないからです。

まず自分の不完全さに対して正しく許しているのが前提です。許すというのはどうでも良いと考えることではありません。まず問題に気づけない自分は未熟なのです。自分で怒りを上手に処理できないのは鋭意努力中の課題です。

どのように怒りを相手に伝えれば良いのかが未熟です。自分が不完全だから失敗をしてしまいます。自分が未熟なのはあなたの責任ではありません。人間は完成しているのではなく、完成を目指しているだけです。

完成に向かう速度は人それぞれですし、人格の完成を目指すかどうかも人それぞれです。自分が不完全なのは自分ではどうしようもありません。それは人格の完成は一人の仕事ではないからです。難しく言ってしまえば、周囲との相互関係で人間が決まります。

戦場において人格完成が難しい理由は環境にあります。子供の人格形成が難しくなるのも、周囲の人との関係によります。それら周囲をコントロールするのは人智を超えています。だから自分の未だ至らない事実を受け入れる必要があるというわけです。

そうすると悲しみの裏には怒りが隠れている事実を発見できるようになります。そのときリスクも高いビジネスであったので、慎重に運んでいました。しかし、一人の人の事故死で企画中のビジネスプランは白紙に戻りました。だめになったからといって、怒りは感じていないつもりでした。知人の死を悼んでいたのです。

ビジネス上で人を失う悲しさを、友人と話していた時に彼の言葉に驚かされました。いつまでも怒っていないで、彼を許してあげなさいと言われたのです。彼は悲しみは怒りの感情だと説明します。違和感がありつつも、逝った彼を許すと宣言した途端、気持ちが晴れました。

自分が認識している感情と実際の感情とがズレている場合があります。途中でビジネスを放り出した人物に怒っていた感情に気づくことができました。そしてチームが空中分解してしまったことに怒っていました。悲しみをコントロールするために許すという宣言が効果を表します。

怒りにも悲しみが含まれています。その感情に対して許すと宣言するのは効果があります。なぜなら他者の世界に関与する必要はないからです。そもそも関与できませんし、すべきではありません。その人の人生はその人が責任を持てば良いのです。

だから相手の不完全さに対して許しましょう。相手がダメになっていく人生を選んだとしても、それを許してあけましょう。それは悲しい決断ではあります。それでもその人はあなたの責任外の存在です。それが自分の子供であったとしても。

たしかに相手が不完全だからあなたの怒りを買っています。不完全な人格は不完全な世界理解をしています。勉強不足なんですね。でもその勉強不足は一気に解決する方法なんてありません。

その人が勉強不足に気づかなければ解決しないことです。その人の責任です。怒りに潜む悲しみは、怒りが小さいと言います。存在に必然する孤独からの悲しみが隠れています。

最初の第一歩!怒りという問題の解決に協力する態度を表明しよう

怒りに対処するのは孤独な作業です。たとえどれだけ正義に裏打ちされていても、その怒りは他の人と共有するのは困難です。怒りに満ちているとき、世界の中に味方になってくれる人は見当たらないようにさえ思えます。

そもそも周囲はあなたの怒りに関心を持っていません。怒りという感情は周囲の人たちが関知したくない感情なのです。無視したくなる感情です。関知したとしても、どのように扱えば良いのかがわからないというに違いないでしょう。

怒りは個人的な感情だと考えられています。喜びは仲間大勢で分かち合うもので、悲しみは共有するのが習わしになっていますが、怒りは対照的です。ほとんどの人が同じように恐れるようには、同じように怒ることはありません。

みんなが同じ事に対して怒るのではないのです。人それぞれに怒りを感じるポイントが違っています。怒りが危険に対する反応だとしても、同じ一つの危険に同じ反応するのは少数です。なぜなら怒りは過去に学習した個人的反応のひとつだからです。

それに怒ったらおしまいというプレッシャーがあります。怒りを表現すると家族でも引きますが、怒りは決して個人的な問題ではありません。一人の怒りが爆発すると周囲も大きな影響を受けます。だから怒る人を遠ざけるというのは、自分の問題を棚上げしているに過ぎません。

誰でも怒るのであり、そのポイントが異なっているだけだからです。だからこそ、怒りには周囲人たちが一緒に対処する方のが安全だといえます。怒りに対処するために協力者が必要です。

最近は怒りの感情に対処する方法はインターネット上にも散見されますが、怒りで感情が暴走する段階になっては、間に合いません。そのような事態に陥る危険性が高いです。怒りを紛らわしているつもりが、気づかず積み上げてしまっている場合もあります。

アンガーマネジメントを学んで、普段から準備していた対処法は記憶の底に沈んでしまって思い出せません。これは筆者だけの経験ではないと思います。そしてたとえ思い出しても、面倒に感じてノウハウを活用できません。

怒りを抑えつけるだけで精一杯になっている状態になっているからですが、これがアンガーマネジメントを実践しようとして苦労する実態です。従って、どれほど効果的なアドバイスであっても、役には立ちそうにありません。

そもそもアンガーマネジメントでは怒りを静めるのを目的にするのではなく、理性を活性化する必要があります。怒りの中心がどこにあるのかわからないのは、本人も周囲と多分同じはずです。だからこそ一緒に怒りの感情と向かい合うことができれば、その人にとって大きな助けになるでしょう。

その際、せめて言葉の上では怒ることの正当性が認められるべきです。自分が怒っている時に求めているものに気づかれている方は多いはずです。あえて言えば、怒りに対する承認です。自分の怒りが正当なのか不当なのか、怒っている人は判断に迷っています。

怒りを感じているということに共感を示すのが大切だとものの本にはあります。でも、共感と簡単には言い切れません。一緒になって怒るのは、ミイラ取りがミイラになるという類例になってしまうでしょう。しかし、怒りに対して冷静に向かい合っていると共感が伝わりません。

確信はここにあります。問題は怒りの表現方法であって、怒りを感じることではないということです。怒るのは自由だけど、周囲に迷惑をかけずに怒ってもらいたいと思いますよね。それはお互い様のことです。自分が怒るときにも周囲を脅かさず怒りを表現できているか振り返る機会です。

それでこそ何が問題で怒りを感じているのかを明確でき、対処できるでしょう。

ここにコツあり!周囲の怒りに対処する秘訣を押さえておけば百人力

人を怒らせてしまった経験をお持ちでしょうか?突然怒られたという経験は誰でも持っているはずです。でも「怒られた」と考えるのは自分が主役になっていません。主役でなければ、物語の行く末をコントロールするのは不可能でしょう。

怖いからその場から逃げていては火に油を注ぐのと同じ結果を招きます。怒る相手から逃げるのは無責任で卑怯です。その場から逃げるために突然場所から出ていったり、火に油を注がないように、うつむいて黙り込んでしまったりしては、問題を起こして知らんぷりしているのと同じです。

そのように他人の怒りに対して無責任な態度を取ってはいけません。怒っている人にすべてを委ねてしまう態度に過ぎません。自分の関わりを放棄するような卑怯さは相手の怒りを増大させます。道を歩いて人に石を投げつけて逃げ去る態度に似ています。

とはいっても、怒っている人を相手にするのは、恐ろしい経験ですから誰でもその場から逃げたいと思うのも仕方がありません。ではどうするのかと問われれば、対処する基本方針を決めておく、練習することです。

自分が怒りを買った張本人なら、それが本番ですが、誰か他人が怒りを買ったのなら、それを観察しながら、自分の態度をシミュレーションして練習する良い機会になります。

基本的態度は、怒りの感情を解消するのを手伝うことで、相手の怒りを味方に付けるという方向です。つまり怒っている相手と一緒に、あくまで冷静に合理性を求めるという態度です。

そのために何がその人を怒らせたのかに焦点を当てます。当人は合理化できないストレスを感じているはずで、あるいは解決するべき問題を感じています。ですから怒っている当人を巻き込める解決策を考えるようにしましょう。

「こうすればいいのさ」などと当人を必要としない解決策は問題です。阻害されたと感じさせると悪循環になります。むしろどうしても協力が必要だと主張するのがこつでしょう。断られても、この点を譲ってしまっては、元も子もなくなります。

対話という解決手段は有効です。大切なのは冷静に相手が抱える怒りの感情に共感する態度を表明することでしょう。その際、お互いの違いを認め合う態度が求められます。「何故、そんなことで怒るのか」と問いかけるのは厳禁です。むしろ怒りを自分のものとして関わる態度が必要でしょう。

対話の準備ができれば、次は相手の理性に訴えて、活性化させるを目指します。理性的に怒りを爆発させることは不可能だからです。なんだか爆弾処理班の作業手順のようですね。怒りの内容を把握したら自分の落ち度を大げさに表現するのがコツです。

これによって一気に冷却する可能性もあります。これらの手法は相手の理性を呼び戻す手伝いをしているのですが、それは怒りは人の理性を30%鈍らせるからです。

ある意味、怒りに振り回されている人は被害者であることを忘れてはいけません。その人は自分の怒りによって自分自身を傷つけています。怒りたいと思っている人はいません。それが自分に有毒な感情だからです。

さらに怒るような体験に傷つけられているから、怒っているはずなのです。その意味でもその体験の被害者なのです。さらに誰も助けてくれないという孤独を味わっている被害者でもあります。被害者を加害者のように扱えば、問題が拡大するのは避けられません。

他人の怒りに対処する力は有能です。助ければ協力者が増えるからです。怒りという怪物と戦って振り回されている人を、その脅威から救い出せれば、あなたはヒーローになります。どんなにおとなしい人でも、怒りの感情を抱きます。そしてその怒りの感情に対抗する方法は習得困難なのです。その場から逃げ

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